3.11

東日本大震災から3年5ヶ月経った、東北の”今”の現状を知りたく思いまして、先日の8月23日、仙台駅からレンタカーに乗り、国道45号を北上しながら石巻へ出まして、女川港、石巻市立大川小学校、南三陸町防災対策庁舎などを経由しながら陸前高田まで行ってきました。

今回自分が東北に行くにあたり、震災直後に女川へ物資を届けに行ったことのある友人が同行してくれまして、当時の写真を見せてくれながら震災直後の状況を教えてくれました。

下の写真は、震災当時の様子では無く、先日自分が撮ってきたものです。

また、陸前高田で生まれ育った友人と、高田松原で待ち合わせをしまして、震災以前の様子や、震災直後の様子、現在行われている土砂搬出工事の様子等を詳しく教えてくれながら現地を案内してくれまして、地震、とりわけ津波の恐ろしさ、自分の生まれ育った街が被災するということはどういうことなのか、実際に目で見て、彼を通じて、ほんの僅かではありますが、感じることが出来ました。

 

 

今回現地へ行って見て、感じてきました東北の”今”の状況は、自分が想像していたものよりも遥かに厳しく残酷で、過酷なものでした。

 

のどかな街並みが続く国道を車で走っていますと、突然何も無いような草原だけの地域に出くわすことが何度かありまして、車を降りてその草原の足元をよく見てみますと、以前建物があったであろうコンクリートの基礎や津波で曲がってしまったと思われる鉄筋、トイレがあったであろう床のタイルや、泥に埋まった衣類、生活雑貨などがありまして、震災以前は此の場所で、自分達と同じような家族の、たくさんの日常があり、そんなかれらの日常が震災による津波で全部流されてしまったのだという事実を目の当たりにしまして、息が出来なくなる様な、なんとも言えない気持ちになりました。

 

 

今回自分が訪れた場所は、NEWSWEBなどで取り上げられている、震災遺構やその候補として検討されている場所なのですが、なかでも大川小学校の現状は、小学校に通う娘の居る自分にとっては受け入れ難い悲惨な状況でして、写真を撮りながら涙が止まりませんでした。

 

 

震災から3年以上経った今になって、被災地へ行って現地の様子を知りたいと思ったのは、去年仲良くなった陸前高田出身の友達の存在が大きいと思います。

この気持ちを的確に表現することは自分には難しいのですが、彼と友達になったことで、いままでは自分にとって”東北地方”だった被災地が、”友達の故郷”という認識になりまして、彼の故郷は震災によってどのような状況になってしまったのか把握したいと思ったのがきっかけになったのだと思います。

 

拙い文章と写真で、これほどまでに自分の表現力の乏しさに苛立ちを覚えたのは初めてです。本当はもっと的確な文章で、もっと伝わる写真で、もっと強く確実に、自分が見てきた東北の様子を伝えることが出来れば良いのですが、この記事を通じて、被災地の現状をほんの少しでも伝えることが出来れば、被災地へ行ってみようとお考えになっている方のほんの少しのきっかけになってくれたらと思い、いろいろ御意見あるかとは思いますが、この記事を投稿します。

 

最後になりましたが、今回の震災でお亡くなりになってしまった方々の御冥福を心よりお祈りすると同時に、今回陸前高田を案内してくれた友人をはじめ、残された被災地の方々の苦難や心の痛みが少しでも良くなって欲しい、今置かれている状況が少しでも早く復興して欲しいと心から思います。

 

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